フラクタル・バタフライ効果
これを書いたからどうなるというわけでもないと想う。
バタフライ効果という言葉がある。
ふと道を歩いていて、想いだしたことだ。
ある人がコーラを飲んで、その空き缶を道ばたに捨てたとする。
その後、ある女性がその空き缶に気付かずに、踏んでしまい転んでしまう。
その女性は妊婦で、その転んだ怪我が元で、流産してしまう。
ところが、その生まれるはずだった子供は世界の平和に大きな影響を与える人物に
なるはずで、世界を救う人物になるはずだった。それが生まれることができなくなってしまった。結果的に、コーラの空き缶を投げ捨てたことで世界が破滅してしまうことになる。
なぜバタフライなのかは、それを示すグラフの形が蝶野もとい蝶のかたちをしていたからなのだけど、
道を歩いていて、たとえば、
街路樹から落ちてくる木の葉の一枚一枚だとか、
道路を突っ走る車の一台一台とか、
道を歩いている俺自身とか、
吸っている煙草の一本一本の煙だとか、
そんな微少で些末な事象のひとつひとつが、
そんな本当に無限かける無限ともいえるようなこの世界の事象の
すべてが絡まりあって、成り立ってるんだなと感じた。
たとえばパラレルワールドなんて言葉があるけど、
道を左に進むか右に進むかだけじゃなく、左に進むとき右足・左足どちらから
進むかとか、その時の左足の角度は何度なのかとか、本当にキリがない、
無限の話だと思う。だからパラレルワールドなんて存在しないと思う。
あっても人間が認識できる範囲の無量大数乗くらいの
話だと思う。
手塚治虫?コスモゾーン?