常々想っているけれど人格障害という言葉が嫌いだ。

新聞に女性の殺人犯だか放火殺人の少年だかについて
精神科医のお偉方のコメントが掲載されていて
反社会性人格障害」という見出しが躍っていた。

「この犯人はこれこれこういう行動や発言がみられる。よって反社会性人格障害と想われる」というもの。


いつも想う。「だから?」


「この犯人は○○××人格障害だ」とカテゴライズすることで何がしたいのか。

社会に「この犯人は正常な人間じゃない。人格障害だ。だからこんな犯罪を犯すのである」と
言うことで安心感を与えているだけにしか想えない。

人格障害」には100人いたら100人が「ああ、これは○○人格障害だ」という基準なんてないし
池田小学校の事件の宅間守だってせいぜい「彼は人格障害だと『みられている』」程度。
判断する人間によって見方は異なる。

反社会性人格障害に効く薬があるからそれを与える指針にする」というわけでもない。
反社会性人格障害用の矯正プログラムを実行するために区別している」というわけでもない。
新聞でコメントしている医者のコメントを見ると「人格障害である」と「区別」することで終わっていて、
人格障害である。だから〜〜するべきだ」という意見に至っていないような気がする。
ただの自己満足のような気さえする。