先日のテレビのニュースで聞いたけれど
ある教師が二十六年前に殺されて埋められて、
最近になって犯人が自首したけど殺人の時効が成立し損害賠償金が取れないと聞いたけど民法上の損害賠償請求権の時効は殺人の行われた時から20年だけど、殺されたことと殺した加害者を知って三年以内なら権利は消滅しないんじゃないか?

取れないなら三年間何もしなかったのだろうか?


…と思ったがやはりどちらかの期間が経過すれば時効や除斥が成立するようだ。

不便

忙しいからとパソコンを捨ててしまってしばらく経つ。

携帯で連絡がとれるだろうと想っていたがよくメールが送れないと言われる。
こちらから送っても送れなかったりする。
さっぱりわからない。
今、
今やりたいことはおいておきたい。
今したいこと、好きなこと、好きな人はあるけど一年先、二年先の自分を見ている。


忙しいからとパソコンを捨ててしまってしばらく経つ。

携帯で連絡がとれるだろうと想っていたがよくメールが送れないと言われる。
こちらから送っても送れなかったりする。
さっぱりわからない。
今、
今やりたいことはおいておきたい。
今したいこと、好きなこと、好きな人はあるけど一年先、二年先の自分を見ている。

一年半後の自分が楽しみだと心から想える。

目標は人に言うと達成できないから言わないことにしよう。


ボクシングのニュース。

試合で八百長という野次が飛んで客に殴りかかったらしい。


プロ失格だ。
プロボクシングは興業である。客はお金を払って見に来ている。
プロボクサーは「勝つにしろ負けるにしろ」見に来てくれたお客さんを満足させなければいけない。
「勝つにしろ負けるにしろ」だ。
少なくとも見に来たお客さんをがっかりさせないように満足させるように努力する必要はある。


そしてお客さんはその試合に対する感想を明らかにしていい。つまらなかったり不満ならブーイングができるのは当たり前だ。ブーイングが起こるのはブーイングをされる方が悪い。100パーセント悪い。お金を払っているのはお客さんだ。


それで八百長と言われたことでお客さんに反応する。信じられない。

お客さんが不満を感じるのは試合をしたボクサーのせいだ。
それ以上でもそれ以下でもない。試合を見に来たんだから。

勝てないほうが悪い。

とりあえず引き分けだけどどっちが勝ったかといえば
う〜ん、こっちかな?
なんて判定なら負けた方がいい。

プロ野球じゃないんだから客のことも考えるべきだ。


そのあげく試合後は「まあ言い試合だったやろ!」なんて言うのはただの「勘違い」。


傲慢キャラならそれでいいと思うけどお客さんがどう捉えたかのかも認識できていないのはただの馬鹿だ。

俺の作品の素晴らしさは凡人には理解できないという芸術家か。

優しさ。

「心配かけてごめん」
と言える人は優しいひとだと想う。



近いうちに少し東京に用があって行く予定。
靖国神社に参拝に行きたい。
久しぶりに高円寺に行きたい。いつも行ってた服屋やラーメン屋に行きたい。北口の風風(ふうふう)の豚骨に味玉付きで。あの店はドラゴンボールが全巻置いてあって読みながら食ってたっけ。
あとすごく行きたいところがタバコバー。
我々煙草を心から愛する人には夢のような場所なんだろうな。

住んでたマンションは今どうなってるんだろう。

正直後悔している。


でもいつかという気持ちでずっとやってる。



なりたい自分があってそれが夢で、そのために取りたい資格を見つけた。

希望とは。

ヤクザ映画というものを初めて見た。ホテルのインターネットとテレビが一緒になったような
機械?で見れたもの。そういえば昔インターネットテレビなんてあったっけ。
普通に面白かった。ヤクザ映画って、抗争で日本刀なんかで敵を刺し殺すシーンでは
飛び散った血の飛沫がカメラのレンズにかかる演出があるんですね。


先日ジャパンネットバンクからキーホルダーくらいの大きさの液晶画面が付いたアクセサリが届いた。
何かと思ったらワンタイムパスワードでネットバンキングを使うときは
パスワードとして液晶に表示されている、60秒ごとに変わっていく数字を入力すればいいというもの。
初めて見たので面白いなと思った。


この間空港に行ったら持っていたキャプテンブラックのオリジナルライターを4つも没収されてしまった。


さらにメールチェックをしていたところ、凄い迷惑メールが届いていた。
みだらな奥様がどうとか書いてあるのだが、なんとそのメールにはURLが書いてなかったのだ。これは新しいな。


もうだいぶ前になるけれど(5年くらい前か)、ブログなんて言葉もなくて
MEMORIZEで日記を書いていた頃だろうか、俺が持っていたサイトのBBSで知り合った人が
「君はこの本を読むべきだ」と共依存に関する本を薦めてくれたことがあった。
その本をさっと読んだけどその頃はあまり深く考えず読み込まず理解もせず、
共依存なんていうものに対して、「俺は共依存を肯定します」なんて言ったことが
あったように想う。
きっと共依存と依存の違いもよく解っていなかったのだと想う。
じゃあ今ちゃんと理解してるのかと言われても疑わしいとは想うけど、
共依存というのはすごく依存している対象を見下している部分があるように感じる。
今の自分はそれを肯定するとは言わない。とても傲慢だと想う。



秋田県だかの児童殺人犯について、ワイドショーに(なんかテレビの話題が多いな)
出演していた精神科医が「典型的な演技性人格障害なのは明らかで〜〜」と言っていた。
確かTBSだったと思う。さらに反社会性人格障害だとも言っていた。何でもいいらしい。
それが精神鑑定で「人格障害とは認められない」と判断された。
本当に曖昧で、判断者によって全く解釈が異なるものだと思う。ボクシングの判定のように。
それで犯罪者の罪が軽減されたり、あるいは無罪になったり、精神病院に何十年も閉じ込められたり
される口実になるのだから、実態はひどいものだと想う。


詳しくは覚えていないけど、以前小学生の女の子が同級生を学校でカッターで
斬り殺した事件があって(被害者が御手洗潔と同じ苗字だったから覚えてる)、
紆余曲折の後その加害者の女の子が「日本で唯一の女子児童の行動を制限、拘束できる」という
施設に収容されたという話を聞いたけど、「え?」と思った。10代前半の男だろうが
女だろうが、何週間も何か月も保護室の檻の中に入れられて過ごしたなんて話は
いくらでも知ってる。おそらくどこにだってあると思う。電話帳を開いてみればわかる。
○○精神病院、という名前は今はないだろうけど、「精神科」の項目で探せば
いくらでも病院の名前は見つかる。
きっとマスコミやテレビでは「精神病院」の話題も、「精神病院」なんて言葉自体が
放送禁止用語なんだろうと思う。

これはメールマガジンに書く話か。

ドラマか何かで「天才とは99%の努力と1%の○○」「愛情とは99%の継続と1%の希望」
とかなんとか、登場人物が言っていた。


それに続けて言ってみようか。

希望とは100%の絶望である

今、考えていることがあって、

どうにもならないことや理不尽なことや苦しんでいることや将来を考えるとき
大きな支障になっていることに対して、絶対的な武器を身につけたいと想う。カウンセラということではなく。
それを自分が力とすることができるかどうかはわからないけど、
力にすることができるものだと想う。もし今の山をそれで越えることができたなら、
それを身に着けたい(「それ」ばかりだな)。